なぜJTC(大企業)には「ブルシット・ジョブ」が溢れているのか?── 空気とメンツの維持費という病【全10回連載 vol.8】
──誰の役にも立たない仕事ほど、消えずに増え続ける理由
「どうして会議ばっかりなの?」
「それにしても、なんで出席者がこんなに多いんだろう?」
「開発営業部の佐藤課長(仮称)は座ってるだけだから、部下3人も来るんだって😒」
「えー!!」
日本型大企業、いわゆるJTC(Japanese Traditional Company)で働いている人なら、こんな経験があるはずです。
──意味のわからない会議、誰も読まない資料、決まらない検討。
こうした仕事はしばしば「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」と呼ばれます。
しかし、JTCにブルシットジョブが多いのは、社員が無能だからでも、怠けているからでもありません。
──ブルシット・ジョブとは何か?
人類学者デヴィッド・グレーバーは、ブルシット・ジョブを次のように定義しています。
「本人ですら、その存在意義を説明できない仕事」
重要なのは、「役に立たない仕事」というよりも、「意味を説明できない仕事」である点です。
JTCには、このタイプの仕事が驚くほど多く存在します。
なぜ、合理的なはずのビジネスの現場で、このような仕事が無限に生み出されてしまうのでしょうか。
その背景には、日本特有の組織構造と文化的な病理が深く関わっています。
本記事では、40年間、大企業(JTC)を内部から観測した筆者が、なぜ大企業(JTC)には「ブルシット・ジョブ」が溢れているのか?その理由に迫ります。
<筆者紹介>
東京大学建築学科卒業後、スーパーゼネコン、大手インフラ企業に勤務。
約40年にわたり、日本型大企業(JTC)という共同体の内部を観測する。
出世競争という制度的ゲームからは早期に身を引き、
組織の評価ではなく、個人の「実体」に投資する道を選ぶ。
Ⅰ. 能力差の否定が生んだ「代替指標」としての序列主義
日本の組織にブルシット・ジョブが蔓延する根本的な理由は、「能力差を客観的に評価し、処遇の差として認めること」を回避している点にあります。
本来、仕事の成果や能力には厳然たる個体差がありますが、日本的平等主義を重んじるJTCでは、この生々しい格差を直視することを嫌います。
その結果、能力の代替指標として「年功(年齢)」や「学歴(入社時のポテンシャル)」といった本人の努力ではどうすることもできない属性による序列主義が定着しました。
この硬直した序列が「不適材不適所」を量産します。
能力が伴わない者が年次だけで管理職に就けば、自らの存在意義を示すために、部下への過剰な確認作業(マイクロマネジメント)や無意味な報告資料の作成を命じるようになります。
これこそが、組織の上層から垂れ流されるブルシット・ジョブの源泉です。
※ 次の記事では、日本に根付く「歪な平等主義」が、教育・企業・個人をどのように消耗させているのかを整理しています。
▶ 能力差を認めない国 日本の病理── 「歪な平等主義」が招く出世競争の不条理
Ⅱ. メンバーシップ型雇用による「仕事の捏造」とワークシェア
JTC(日本型大企業)の根幹である「メンバーシップ型雇用」は、ブルシット・ジョブの温床です。
「仕事に人を割り当てる」ジョブ型雇用であれば、定義された業務(ジョブ)がなくなればポストも消滅します。
しかし、「人に仕事を割り当てる」メンバーシップ型では、まず「雇われた人」が先に存在し、その人のために仕事やポストを後から用意します。
この構造下では、ポストが足りなくなれば「○○担当部長」といった実態のない役職が捏造され、その役職を正当化するために、さらに「○○検討プロジェクト会議」という名の無駄な会議やプロジェクトチームが生成されます。
これは合理的な分業ではなく、「働いているフリ」を全員で分け合う非効率なワークシェアリングに他なりません。
組織を維持するために、わざわざ仕事を捏造しているのです。
──高度経済成長を支えたメンバーシップ型
新卒一括採用、終身雇用、年功序列を3本柱とする、日本特有の メンバーシップ型雇用は、かつての高度経済成長期に広まって大きな成功をおさめた雇用システムです。
高度経済成長が始まった1950年代は、農村からの豊富な労働力が成長を支えていましたが、1960年代に入るとその状況は大きく変わりました。あまりに成長スピードが速かったため、労働力の供給が需要に追いつかなくなったのです。
そのような状況のなか、この雇用システムは多くの労働力を長期にわたって安定的に囲い込むことに成功しました。
しかし、1990年代初頭のバブル崩壊以降、長引く経済停滞は、この雇用システムがすでに賞味期限を迎えていることを示しているのではないでしょうか(下のグラフ参照)。
【日本の経済成長率の推移】
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引用:図録▽経済成長率の推移(日本)に筆者が加筆 |
Ⅲ. 「空気」を維持するための儀式
山本七平※が指摘したように、日本の組織を動かす実体は、論理(ロジック)ではなく「空気」です。
この「空気」を壊さないこと、つまり関係者全員の合意を得ることが、実効性を上げることよりも優先されます。
▢過剰な根回しの資料作り
結論はすでに内定しているにもかかわらず、関係部署のメンツを立てるために一言一句を調整する。
▢「念のため」の会議
責任を分散させ、誰も傷つかないようにするために、大人数が集まって時間を浪費する。
これらは経済的な価値を生む活動ではなく、共同体の一体感を確認するための「儀礼的業務」です。
合理的な視点から見れば無意味ですが、組織の「空気」を維持するためには欠かせないコストとなっているのです。
※ 山本七平(1921-1991)は、戦後日本を代表する評論家であり、独自の日本文化論・宗教観・戦争体験の分析で大きな影響を与えた人物です。 主著『「空気」の研究』は今も日本社会を理解する鍵として読まれ続けています。
Ⅳ. 「情意評価」が強制する頑張りの演出
能力や役割が明確に定義されない環境では、人事評価の基準は「情意(やる気や態度)」に依存せざるを得ません。
アウトプットで差がつかない以上、社員は自らの存在価値を「忙しく苦労している姿」で演出するしかなくなります。
──誰にも読まれない長大な週報、深夜までの意味のない居残り残業、重箱の隅をつつくようなチェック作業。
これらは、自分の忠誠心と「汗」を可視化するためのパフォーマンスです。
評価制度そのものが、「価値を生む仕事」よりも「苦労を装うブルシット・ジョブ」を実質的に推奨してしまっているのが現実です。
Ⅴ. 「同輩の代表(プリムス・インター・パーレス)」を支えるためコスト
かつて評論家・山本七平は、著書『日本人とは何か』で、日本のリーダーは「支配者(Ruler)」ではなく、"primus inter pares"(プリムス・インター・パーレス)であると指摘しました。
これは「平等な仲間たちの中の、第一人者」という意味です。
日本の社長の多くは、創業者のような絶対的な権力者ではなく、同期や先輩・後輩という「同じ釜の飯を食った仲間」の中から、調整能力を買われて選ばれた「代表者」に過ぎません。
JTCのブルシット・ジョブは、この「同輩の代表」が影響している面もあります。
彼らの権威を維持するためには、実務とは無関係な「権威の装飾」が必要になります。
形式的な御前会議(承認儀式)や、過剰な階段式承認プロセス、形式的な随行業務などは、その人物を「重要人物」に見せるための舞台装置です。
組織が封建的であればあるほど、権威を支えるためだけのシステムが増殖していくことになります。
※この点に関しては、次の本連載第1回記事が参考になります。
▶ なぜ高学歴ほど「何もしない」リーダーになるのか?── 経営プラクティス世界最低レベルの正体【全10回連載 vol.1】
Ⅵ. まとめ ── ブルシット・ジョブは「共同体維持費」
結局のところ、JTC(日本型大企業)におけるブルシット・ジョブとは、「能力差を認めず、適性のない者を切り捨てる」という痛みを回避するための膨大な維持費です。
ジョブ型のようなドライな契約よりも、情緒的な「空気」を優先し、序列主義によって全員に無理やり居場所(メンツ)を与えようとした結果、組織全体が価値を生まない作業に埋め尽くされてしまいました。
この環境で生き抜く若手にとって必要なのは、目の前の業務がいかに「ブルシット」であるかを冷徹に見抜き、組織の空気に飲み込まれないための「知的な距離感」を持つことです。
無意味な仕事に魂まで売る必要はありません。
それはあくまで、共同体の中で生きるための「通行税」として割り切るべきなのです。
この記事の全体像を確認する
本記事は、JTC(日本型大企業)という共同体の内部で40年間培った観測眼をもとに、日本の組織が抱える構造的課題を独自の視点で分析した「JTCの不都合な真実・全10回シリーズ」の一つです。他の視点を含めた総論は以下のまとめ記事をご覧ください。
― 日本型大企業という共同体を内部から記録する ―

